「民報サロン」2022年3月10日掲載

グリーフと共に生きる

 「母が亡くなったのは私のせいです」
 数年前、四十九日の法要時にご遺族が語った言葉です。長年患っていた持病の手術を受け、手術自体は成功したものの、術後の体調変化により別の疾患で急逝したお母様。手術を勧めたご子息は、あの時自分が勧めなければこんなに早く逝くことはなかったと、自責の念からの言葉でした。

 こう言われた時、みなさんはどのようされますか?
 慰めの言葉をかけるでしょうか、一緒に涙を流すでしょうか。当時の私は、どうすればいいのかわからず、ただただお話を聴いていました。大切な方を亡くし、大きな悲しみの中にいらっしゃるご遺族に、どのように接すればよいのか、何ができるのかわかりませんでした。その中で出会ったのがグリーフケアの学びです。

 グリーフとは、大切な人やものなどの喪失体験から生じる、身体的、精神的反応、状態、過程を意味します。生きてゆくことはグリーフを重ねてゆくもの。死別だけでなく、離別、失恋、災害、引越し、受験、卒業などに伴う喪失体験から生じる反応もグリーフです。悲しみ、怒り、否定、自責、安堵、興奮、不眠、無感情など、反応もひとりひとり違います。グリーフは誰にでも生じること、自然なことなのです。克服する、乗り越えるものでもなく、抱えやすくしながら共に生きること、受け入れながら生活してゆくことが生きることであると学び、実感しています。

 学びの中では、自分自身のグリーフと向き合い、その状態を絵や言葉で表現するワークがあります。私はこれが苦手です。自分の弱い部分を見せたくない、なぜ人前で自分の経験を話さなければならないのか、そう思っていました。ですが、学びを重ねる度にその考えも変わっていきます。無理に語らなくてもいい、沈黙も声なき声である、その場にいるだけ、別の方の経験を聞くだけでも心がほぐれる。「話す」ことは「放す」こと。自分の中に閉じ込めていた気持ちを外に出すことで心が軽くなり、新たな気づきもある。希望の光となる。安心して自分の心を開放する相手や場があるということは、なによりのグリーフケアの時間であると実感しました。

 グリーフと共に生きることは容易なことではありません。喪失体験をした時、想像もつかないほどの感情の揺れ動きや反応があります。自分ではどうしようもない状態になった時、誰かに頼ることも大切です。自分の気持ちを言いたくても言えない、言葉にできないこともあると思います。ダムが多くの水を貯めるように、自分の気持ちをせき止める時も必要でしょう。ですが水も貯め過ぎて決壊してしまう前に放水することも大切です。ひとりで抱えきれないほどのグリーフがあるとき、その想いを受け止めてくれる誰か、安心して心を開放する場があることが大切と思っています。そして私も安心できる存在、ホッと一息つけるような存在になれればと思っています。

 グリーフと共に生きてゆく中でも、希望の光となるような人や場との出会いがどなたにでもありますように。
お互いが支えあう世の中であることを願っています。

福島民報「民報サロン」2022年3月10日寄稿

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