ごえんびと
第13回 半沢 政人さん
連載コーナー「ごえんびと」
壽徳寺にご縁のあるひと(ごえんびと)にインタビューし、想いを伺いながらご縁を深めます。
第13回は、半沢政人さんです。
福島県三島町にアトリエを構えて活動されている美術家の半沢政人さん。
「Ori Kiri Ori」という、一枚の紙から生まれる作品に感動し、ご連絡したことからのご縁です。昨年壽徳寺で開催した、目黒麗さんのクリスタルボウル演奏会でも、半沢さんの作品で本堂を装飾していただきました。Ori Kiri Oriがどのように生まれたのか、奥会津での活動の様子など、三島町のアトリエにてお伺いしました。ぜひご覧ください。
「Ori Kiri Ori」 (オリ キリ オリ) とは・・・
一枚の紙とハサミを用いて、
自然な感覚で作り出される 美しく創造的な「Ori Kiri Ori」
作り手の個性により様々な形が生み出されます。
「世界中すべての人々が素敵な作品づくり」
これが、僕が望むアート(芸術)です。「すべては 未来をつくる今を 生きるために」
*Ori Kiri Ori パンフレットより
Ori Kiri Oriについて
―――このアトリエにもOri Kiri Ori作品が飾られているのですね?
そうですね。企画展など打合せの時に、実際に見ていただくために装飾しましたが、展示してみるとまた新たな発見もあったりします。
創作途中は結構辛い時もあるんですよね。あ~、駄目かなって時もあります。無我夢中になって、無心になって創作している時に、「アレっ?ここをこう展開するといい感じじゃない?」って思ってやっていくと、ガラッと変わっていくんですよね。光が差し込んだように作品が発展して、今まで経験したことない新しい発想と出会っていくんですよね。いかにその新しい発想を見出すかっていう感じですね。展示することも新しい発想との出会いにもなったりします。
科学の発見って失敗から生まれるっていうけど、これもまさにそうです。実験です。理屈で創作していたら、もう新しい発見なんてないですよね。自分が想像もつかないような失敗をしないと、そんな失敗をしない限りは新しいことなんてないんだろうと思います。やりながら探って、見つけられるかどうか、出会えるかとかが勝負かな。過去にやったことと同じようなことをやっても、やってる意味がないかなと思っています。
―――Ori Kiri Oriはどのように生まれたのでしょうか?
会津管内の中学校で美術講師をしていた時に、灯りを作ろうという授業をやったんです。素材はなんでもよくて、器や木や紙など自分達で持ち寄って作りました。みんなで目を閉じて、心の中に光をイメージして、見えた光を形にしてみよう。というところから始まったんですね。
みんな真剣にやるんでね、ちょっと僕も一緒に余っている紙でちょっとやってみようかって。それでやってみたら、あれ、コレなに?となって。紙を折って、まとめて切って、展開して、そしてまた折ったら、できてしまった。授業中に発見したんですよ。そのことは今でも忘れもしないし、そこからもう、ハマっちゃったんですよね。
―――初めての展覧会はいつだったのでしょうか?
展覧会としては2012年が初めてですね。会津若松市のアルテマイスターにて。ここでは生徒の作品と僕の作品を組み合わせたものもありましたね。当日会場でワークショップもやって、来てくださった方にも作っていただいて、それを展示して日々変化してくんですね。日々、作品が増えていくという。一つの光の丸い円の上にどんどん、いろんな多様な形が広がっていくっていうような。曼荼羅のような。一つ一つ形が違う作品が集まり、一つの作品として変化していくんですよね。同じ地球の上に立って一つの命のような感じになってました。
―――三島町でも展覧会開催されているのですよね?
そうですね。2011年に三島町に世界中のアーティストが来て、パフォーマンスフェスティバルがあったんです。絵や彫刻やインスタレーションとか、ダンス、音楽、あらゆるジャンルの最先端なものからアナログなものまで展開したアートフェスなんですね。そこで3泊4日の合宿みたいにして、参加アーティストのお互いの持ってる技とかをシェアして、そこでちょっとOri Kiri Oriも展示して、コラボもして。展示自体はそれが一番最初でしたね。
世界中のアーティストにも紙とハサミを渡して、一緒にやったんですよ。そしたら僕の国にはこんなアートないって言われて、ハッと気がついたんです。世界中で誰もやってないのかなって。いろいろ文献とかいろいろ探ってみてもなくて、近いものはあるんだけど僕が発見したところの部分に関しては、突き詰めてるものが全くないっていうのがあって。何でこんなすごいバリエーションの広がりがあるのに誰もやってなかったんだと思いましたね。
―――そこからどんどん展開していったのですね?
照明を工夫したり、実験的な展示を重ねていきました。その度に大反響で、自分自身もワクワクしながら、可能性の卵を発見し育てながら作って展示してましたね。
2019年にはまたアルテマイスターに戻って「祈り」というテーマでの展覧会を開きました。最初のアルテマスターの展示でも震災という意味のある展示をしています。ただ作品を作って展示するだけじゃなくて、コンセプトをもって展示をすると、みんなの気持ちが一つに集まってきます。この祈りというテーマですが、人々にとって大事なことですよね。そしてその中でこのOri Kiri Oriが世界の大事な祈りの道具として、広がっていって欲しいなっていうところがあります。アルテマイスターも仏壇仏具の会社なのでつながりがありますし、平和、人と人の境、いろんな壁、障害、信仰、民族とかを超えて、結び合うための道具になっていったらいいなと。
この2019年の展覧会は大きなきっかけになってますね。自分がやってることが間違いないなと実感できました。作品の美しさを評価されたところもありますが、それよりもむしろそのコンセプト、祈りというコンセプチュアルな部分を皆さんと共感できたというのは非常に大きかったですね。
―――三島町にアトリエを構えて何年になりますか?
2000年からです。ここはかつて町の児童館だったんです。この児童館というのも、西隆寺っていうお寺からはじまっています。福島県の中で一番初めの幼稚園施設ですね。寺子屋みたいな。お寺でやっていたことを自治体の児童施設へ機能が移されていって繋いできた施設です。児童館という役目は2000年で閉じてますが、夏休みにはこのアトリエに子ども達が集まってワークショップも開いてます。
子どもたちとの出会い
―――2000年当時から、会津で教員されていたのですか?
その時には、もう美術家として活動していました。大学卒業後5年間の教員生活を送り退職しました。すさまじい5年間で、やりきった感があり退職しました。そこから創作活動が始まって評価されて賞もいただいて、本格的に美術の世界に入りました。自然の豊かな場所で創作したかったので、どこかいいところないかなって探していた時に三島に行きつきました。
三島町には1993年に移り住んでいます。講師の仕事はここのアトリエを借りた年と同時に始まったんですよ。3月25日に隣町の教育長さんからお電話いただいて、4月から講師をやってほしいと電話がかかってきました。何の予告もなく突然ですよ。笑
当時、展覧会もいくつか決まっていて無理ですって断ったんだけど、とりあえず話だけ聞いてくれって、僕の家に来たんですよね。お話聞いたらとってもいい方で、良すぎて・・・説得されちゃいました。僕としては1年間だけだと思っていたのだけど、そんな中でも接する子供たちはとてもとても僕を歓迎してくれて喜んでくれて、教える楽しさを子どもたちから教えてもらいましたね。子供たちの反応がすごかった、素晴らしかった。今は財産ですよね。その時教えた子供たちがとにかく僕の今支えてくれてる一番の応援者になってくれてるわけですよ今本当に。これは導きだったんだなって思いますね。
――移住されてからも様々の方とご縁が広がったのでしょうか?
そうですね。三島町の社会教育指導員をしていた時、アメリカのユタ州からこられたジェフさんというALTの先生とのご縁があります。職場の机が隣同士で、とってもピュアで素敵な方だったのですが、来日した年の秋に登山中に行方不明になって亡くなられたんですね。
翌年、お世話になった学校への挨拶回りにご両親が来日されたんです。僕が随行して、何校か一緒に回ったんですよ。その時、金山町の横田中学校の子供たちがご両親に対して感謝のメッセージを読んでくれました。それがすごい感動的でして、今でもその光景を思い出すと涙が出ます。教員として一番初めに5年間勤務した時には味わえなかったような、感動でした。子供たちの応対が素晴らしくて、一緒に涙して、なんてすごい学校だろうと思ったんですね。もう二度と教員はやらない、美術家としてやる以上はもう教員はやれない、やらないと思ってたんだけど、こんな場面に立ち会って、こんな世界があるなんて、こんな子たちと学びあえたらすごいよなって思っていたんです。そんな時に、この学校に勤務してほしいという連絡が入りました。ええ?って。これは導きだなと。これは運命だと思いましたね。
あの学校で、あの子どもたちと一緒に学べたことは、僕を変えました。2000年に講師になって翌年には辞めようと思ってましたから、契約通りに辞めていたら今の自分はないと思う。あの子たちに会って、教え学び合う、共に学びあう時間を過ごせたことは大きな財産ですね。打てば響く学校だから、教える教員としてはこれほどすごい経験はないんですよ。全力でやってくれるから、こっちまで本気で、なかなかできない経験でしたね。一緒に汗をかいて感動できて、閉校までの見事な6年間でしたね。
これからについて
――大切にされていること、これからについてお聞かせください
デッサンって、ものの本質を捉えるのがデッサンであって、描く技術を高めるのがデッサンではないです。いかに本質を知るかということがデッサンで、知るためにはいろんな角度から見て、持って、食べたりすることも大切です。これは生きてゆくにも大切なことで、立場を変えて視線を変えていくことによって、真実に近付くんだと思うんです。プラスとマイナスを行き来して、それを永遠に繰り返してゆくのかなって。いいことも悪いことも導きであり、次のための貴重な経験なんだなあと、ここ最近ずっと思ってます。いいことも悪いことも運命なんだなって。
僕は若いときに評価をいただいて、世に出るようなチャンスも何回かあったんだけど、そこで一躍有名になったりとか、違ったポジションにつかなかったのは必然だったし、これが正解だったんだよなと思うんです。若いときにも、今じゃないもっとちゃんといろんなものを経験して学んだ後じゃないと、そうでないと駄目なんだと思ってました。人として未熟だって思い続けて、自信もなかったですし。
今は、新しいことにチャレンジを続けながら、楽しいですね。うまく車輪が回りはじめてきていているように感じます。ダラダラする時期もあり、活発に活動する時もあり、適度に運動し、野山に行って、常に原点に立ち戻ることも大切にしながら、日々の繰り返しです。
人のいのちはアメーバのように思ってます。1個1個に別れるときもあるけど一緒に繋がっている時もある。全てが繋がっていて、それは人だけじゃない。あらゆるものと繋がっていて、宇宙の全てと繋がっていて、我々も一部分でしかない。全て一体なんだって。
作品も共鳴し合うんですよね。作品ができた時の感情と、いろんな方がこれを見てまた違った共鳴の輪を広げてもらうっていう。素敵なハーモニーですね。よいハモーニーが広がっていくので楽しいですよね。僕の作品が100年200年したときに、作品から作品へどんどん広がっていったら嬉しいなと思います。そこをイメージしてますね。
Ori Kiri Oriはどこでも誰でもできますから、世界中の人が紙の一片を造形していって集中できて、何か活かすということの素晴らしさを体感できるわけですよね。言葉じゃない、何かこう、いろんな可能性をここで実感できるので、面白いなと思います。これからも自己満足にならないように、自分にとって新鮮なもの、刺激的なもの、自分自身が楽しめるものを続けてゆきたいですね。
――ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
Ori Kiri Oriに感動し、体験したい!という思いから半沢さんとのご縁がつながりました。壽徳寺の恒例行事にお越しいただいたり、クリスタルボウル演奏会の装飾いただくなど、都度お会いしておりましたが、改めてお話を伺う時間となりました。Ori Kiri Oriの誕生秘話、講師時代のお話など伺い、またさらにご縁が深まりました。
Ori Kiri Oriは、誰でもどこでもできます。ひとりひとりの個性もまた素晴らしく、楽しめるアートです。長年思い描いていたワークショップも今年こそ開催できればと思います。開催時にはぜひご参加ください。
*インタビュー・文 松村妙仁
*2022年3月6日 三島町のアトリエにてインタビュー
インタビュー記事 PDF版のダウンロードはこちらから
半沢 政人 (はんざわ まさと)さん プロフィール
美術家。1965年郡山市小原田生まれ。多摩美術大学油画科卒。
1993年奥会津三島町に転居。1988年「全国選抜絵画展」、2000年 「環境と都市の美術展」、2012年「会津・漆の芸術祭」など多数出展。
一枚の紙と鋏を使って、子供も大人も誰もが夢中になれる「Ori Kiri Ori(オリキリオリ)」という手法で、立体アートの制作やワークショップなどを行う。2016年10月「光の種 Ori Kiri Ori紙の立体造形展」を喜多方市大和川酒蔵北方風土館内昭和蔵で開催。個展や創作造形指導 を中心に、さまざまなプロジェクトへ積極的に参加しながら美術活動を展開している。
Ori Kiri Ori Facebookページ
https://www.facebook.com/ori.kiri.ori.paperart/