ごえんびと第18回 佐藤利憲さん

ごえんびと

第18
福島県立医科大学 看護学部 講師
NPO法人ReLink(りんく)理事長
佐藤 利憲 さん

プログラム中の様子

連載コーナー「ごえんびと」
壽徳寺にご縁のあるひと(ごえんびと)にインタビューし、想いを伺いながらご縁を深めます。

第18回は、福島県立医科大学 看護学部 講師、NPO法人Relink(りんく)理事長
佐藤利憲(さとう よしのり)さんです。

佐藤さんとは3年前に*仙台グリーフケア研究会「グリーフケアの担い手養成講座」を住職が受講し、佐藤さんの講義を受けたことがご縁です。「子どもへのグリーフサポート」という講座を担当され、その講義は今でも鮮明に覚えています。
おてらおやつクラブ巡回展の開催中の8/16(火)、子どもや保護者のメンタルヘルスに関する支援、子どものグリーフサポートを広めるための普及・啓発活動されている、佐藤さんを壽徳寺へお招きし講演いただきます。今回のインタビューは、その予習としてご覧いただければ幸いです。今回も深まる時間。ぜひご覧ください。


*NPO法人 仙台グリーフケア研究会とは
2004年、仙台市立病院のスタッフや仙台市民が中心となり設立。2006年より自死遺族のための「わかちあいの会」を始め、自死・病死・事故死・災害等で大切な人を亡くしたすべての方を対象として開催。現在は、仙台、石巻、山形の会場で、「わかちあいの会」を実施。2010年より子どもを対象とした「ワンデイプログラム」を開催(現在はNPO法人子どもグリーフサポートステーションとして各地で継続)「わかちあいの会」「グリーフケア」の普及と啓発を進め、シンポジウムやファシリテーター養成などの事業も行っている。

*グリーフとは
かけがえのない人との別れは誰もが経験し得る事。大切な人との死別により、深い悲しみ、辛さ、寂しさ、後悔、罪悪感、時に怒りや安堵など様々な思いや感情が沸き起こる。喪失に伴う様々な反応をグリーフと言います。グリーフは誰も代わることができません。
そもそも、グリーフは病気ではありません。グリーフが軽くなれば良い、無くなれば良いというものではありません。

上記すべて仙台グリーフケア研究会ホームページより抜粋 https://sendai-griefcare.jp/


子どもの支援について

―――長年子どもの支援関連に携わっていらっしゃるのでしょうか

 いや、違うんですよ。元々は精神科の看護師として10年間勤めていました。
 入院した患者さんからいろいろなお話を聴かせていただく中で、学生時代に友達関係や、進路で悩んだとか、家庭環境の問題があったとか、子どもの頃の悩みや不安、ストレスについてのお話が多かったんです。

 大人になってからの統合失調症やうつ病の要因や原因が、子どもの頃のこのようなストレスが直接関わっているかはわかりませんが、このような悩みや不安、ストレスを抱えた時に、適切な支援だったり、手を差し伸べることができていたら、この人たちの人生ってもっと変わったんじゃないかなって思うようになりました。その場面に立ち会うほどに、もっと早い段階での介入、早期発見みたいなところに関心を持つようになり、臨床を離れ、2008年に大学院に入学し、子どものメンタルヘルスを一から学び直しました。子ども支援に直接関わり始めたのはこの頃からです。

 

―――現在は教員として勤務されていらっしゃるのですよね。子どもの支援の関わり方も様々だとは思いますが、その中で教員という道を選ばれたきっかけがあったのでしょうか?

 精神看護の分野で専門的知識や技術を深め、専門看護師の資格取得のために山形の大学院に進学しましたが入学してみると、精神看護の専門看護師のコース自体が入学年度いっぱいで終了することになり、結局その道は諦めざるを得なかったんです。私が十分に確認していなかったのが悪かったのですが、当時はかなりショックでした。

 その後、研究コースに方向転換をして、指導教官が小児科医で発達障害のある子どもの支援を専門としていたため、私も携わるようになりました。その中で、保護者や、学校の先生とのつながりができたり、発達上の問題や特別支援の必要な子どもたちと地域の中で関わることが増えてきたっていうのが、直接的なきっかけですね。

 大学教員になったのも、大学院の同級生から大学教員を探してるとの情報を得て、その大学の教員を紹介してもらったんです。その先生がグリーフサポートで全国的に活躍されている高橋聡美先生でした。聡美先生に出会い、直属の上司だったので、活動をともにすることが多く、その中で、あしなが育英会の西田正弘さんとも一緒に活動するようになりました。西田さんは、親を亡くした子どもたちの支援を長年されていて、当時、東北にはなかった死別体験をした子どもたちが集える場所づくりを作ろうとしていた聡美先生や西田さんらのお手伝いをさせていただく形で携わるようになりました。

 今考えると、専門看護師のコースがなくなってよかったなと思います。そのきっかけがなければ、今のような子ども支援に関わることもなかったと思います。元々小学校の先生になりたかったというのはありましたし、巡りめぐって教員という立場に至ったという感じです。

*あしなが育英会とは…
病気や災害、自死(自殺)などで親を亡くした子どもたちや、障がいなどで親が働けない家庭の子どもたちを、奨学金、教育支援、心のケアで支える民間非営利団体。
あしなが育英会ホームページより https://www.ashinaga.org/

現在のプログラム中の様子

―――病院勤務の時代から死別体験をした方の支援のご経験はあったのでしょうか?

 精神科の病院でしたので、自死遺族との関わりはありました。ですが、当時は遺族と関わることが苦手だったんです。どう関わっていいかわからなくて、今考えると、自分が何かしなければならないとか、何かしようと思いすぎていたように思います。いつも先輩看護師や同僚に対応を代わってもらっていたくらいで、親を亡くした子どもたちの支援なんて私には絶対にできないと思ってました。

 大学の上司である聡美先生や、西田さん、滑川明男先生(仙台グリーフケア研究会 理事長)とともに立ち上げの準備をし、2010年の12月、子どもたちが集える東北初のプログラムをスタートしました。だいたい2ヶ月に一度のペースでプログラムを開く予定で、12月の次は、翌月の1月に2回目を開催して、3回目は3月に開催を予定していたんですが、3月11日に東日本大震災が発生しました。

 

―――そんなタイミングで震災を迎えたのですね。

 親を亡くした子どもたちのプログラムを始めた数ヶ月後に震災が起こるなんて思いもしませんでした。
 震災の後は、12月と1月のプログラムに参加した子たち、スタッフや大学生のボランティアも被災者でしたから、まずは安否と状況の確認から行いました。日を追うごとに親を亡くした子どもたちへの世間の関心が高まってきたんですよね。その中でできる限りの準備をして、2011年の5月にはプログラムが再開できたんです。周りからすると驚異的な速さだって言われますが、直前にプログラムを立ち上げたていたこと、場所が確保でき、人材(ボランティア)も確保できていたおかげです。

 再開にあたり、親を亡くした子どもたちがたくさんいるってことがわかってましたから、2ヶ月に1回では足りないだろうということでプログラムを毎月やるようになりました。

震災後のプログラム会場の様子

―――どのくらい集まっていたのでしょうか?

 開催する度に参加者が増えていき、多いときは1回のプログラムに子どもが30人くらい集まっていました。保護者は20名、当時は子ども1人に対してボランティア1人の体制でしたので、ボランティアも30~40名ぐらい、裏方の人たちも含めると100人前後になりました。ボランティア養成講座を開催すると全国から100人以上集まる状態でした。私はプログラムを任されていたのですが、教員をしながら、そのプログラムを運営していたのでかなり大変でした。

 プログラムの準備も大変だし、資料を作ったり。子どもたちを安全に迎えるためには、ボランティアの質を維持する必要があったので、細かい約束事を決めたりなど、確認することが増えていました。

震災後のボランティア養成講座

 今考えると、震災直後の変な使命感というか、私がしないで誰がするんだみたいな思いが強くあったと思います。
 苦しかったですね。途中から…。孤独だったんですよね。なんで自分だけがこんな思いをして準備しなければいけないんだとか、新参者がゆえにいろいろ批判をされることもあって。でもニーズはあるし、求められるし、やらなきゃいけないし、みたいなところでギリギリな状態でやってたんですよね。

 でも半年ぐらい過ぎた頃から、自分自身にも余裕がなくなって、プログラムで準備しなければならないことが抜けてしまうことが度々出てくるようになりました。

―――そんな状態は長く続くのでしょうか

 私がやらなくて誰がするとか、私がやらなければならないなど、私が、私がって思いながら活動を続けていたんですけど、周りのボランティアから、「なんで佐藤さん1人でやってるの?」「俺たちをもっと頼って」「一緒にやろうよ」って言ってもらったんです。それがものすごく嬉しくて、その時に初めて一人で抱えすぎてたんだなって気づいたんです。

 この環境を守る、子どもたちを守る、ボランティアを守る、安心安全な環境を作らなきゃいけないって思いが強すぎたんだな。って初めて気がつきました。この場所を作っていくのは私じゃなくって、子どもたち、保護者、ボランティア、みんなで安心・安全な場所を作っていくことが大事なんだと気づき、その時からとても楽になりました。肩の力が抜け、荷が下りたというか、子どもたちへの関わり方、ボランティアの接し方が大きく変わったと思います。

仙台のプログラム、スタッフミーティング中

震災後のプログラムの様子

―――活動する中で大切にしていることをお聞かせください

 あしなが育英会の西田さんが、「我々に大切なことは何もしないこと」って教えてくれたんです。

 当時は「何もしないって何?」。子どもを支援するのに、何もしないってどういうことだろうと思っていました。
私が2008年頃に発達障害のある子どもの支援を始めた頃は、対象となる子どもは発達層障害があるから、生活できるように引っ張っていかなければいけないんじゃないかという思いが強かったんですよね。
 当時の私は、子どもの力や保護者の力を信じきれてなくて、私がものすごく引っ張るような形の伝え方や、支援をしていたんだと思います。2010年から親を亡くした子どもたちに関わるようになり、1人1人子どもたちの様子を見ていると、どんな子どもでも自分の状況に折り合いを付ける力があって、生きていく力がある。これらのことを実感してから、発達障害のある子どもとの関わり方や保護者との関わり方も大きく変わったように思います。

 私のやり方をきちんとやればうまくいく・・・みたいにオレオレな感じでやっていたように思いますが、子どもたちや保護者の力を信じて、それを支えていくようなスタンスに変われたのも、親を亡くした子どもたちの支援に携わるようになったからだと思います。いろんな経験をたくさんさせてもらって、子どもたちやボランティアの方々に教えてもらったことが今の私の活動に繋がってますし、私のかけがえのない宝物で、大きな原動力になっています。

プログラム中の様子

福島での活動

―――福島で団体を作るきっかけをお聞かせください

 仙台グリーフケア研究会が開催していたプログラムから子ども部門が独立して、「子どもグリーフサポートステーション」が設立されて活動はしていましたが、福島では継続して子どもたちが集える場所がなかったんです。子どもグリーフサポートステーションが出張する形で、福島市で2ヶ月に一度プログラムを開催していた時期もありますが、途中で終わってしまったんですよね。福島で活動することができなくなったことが心残りでしたし、子どもたちが継続的に集まる場が定着をしてなかったっていう部分もあり、私が2015年に福島医大で勤務することになってから、団体の設立を考えていました。

 

*グリーフケア(グリーフサポート)とは?
グリーフを抱えた人は、支えを必要としています。しかし、決して弱い人ではありません。グリーフの語りには、愛が満ち溢れています。大切な人だったからこそ、悲しいのです。グリーフの語りには、生きる力があります。こんなに辛い状況でも、わかちあいの会に来たのです。私達は、語りの中に人間の強さを感じます。
私達には、グリーフを治す薬も、グリーフを消し去る魔法もありません。一緒にいて、見守り、寄り添うこと。それが私達の出来るグリーフケアです。
(仙台グリーフケア研究会ホームページより)

福島での開催当初

 ――すぐ団体設立できたのでしょうか?

 一人じゃできないし、どうしようかなと思っていたときに、福島医大の研究室が隣だった、現在の団体(ReLink)の副代表である宮﨑恵美さんが声をかけてくれたことが大きなきっかけとなりました。宮崎さんは同じ教員で、その年で大学を退職されるタイミングだったのですが、たまたま私が研究室の前に仙台グリーフケア研究会の担い手養成講座のチラシを貼ったら、声をかけてくれたんです。それまでも、仕事上の話はすることはありましたが、正直、じっくりと話をすることはありませんでした。宮崎さん自身も子どもを亡くされた経験があって、子どもを亡くした親の支援をずっとしたいと思っていたようで、チラシをきっかけにいろいろな話をするようになり、仲間を集め、2017年の3月に任意団体のRelinkを設立することになりました。宮崎さんと繋がったことが、団体設立の大きなきっかけになりましたし、宮崎さんの繋がりから地域の方々との繋がりが増え、いまの活動に至っています。

 

――すごい奇跡ですね

 本当にいろんな巡り合わせがあるんですよね。すごい不思議なんです。
 震災がなければ、発達障害の支援も、おそらくオレオレな感じ??で今も強引にやっていたと思います。2010年に聡美先生に出会い、西田さん、滑川先生、ボランティアの方々とともに活動するようになったこと。2015年に福島医大で勤務することになり、宮崎さんに出会い、ReLinkのスタッフと活動をするようになったこと。いろいろな巡り合わせ、ご縁、まさに団体名の”リンク”のように、繋がりによって私自身が支えられてると思います。心から感謝しています。もちろん、看護師としての経験が私の土台となっているので、その時代の仲間も、かけがえのない、大切な存在です。

団体設立時

Relinkにこめた想い

――法人名のRelinkにはどんな思いが込められているのでしょうか

 Relink(りんく)は造語で、再び(Re)繋がる(Link)という意味を込めて作った団体名です。

 多くの遺族や子どもたちは、亡き人の声が聞けない、側にいない、会えないという大きな喪失を抱え、もう二度と会うことができない大きな別れを感じているんですが、そのような経験をされた方々に長く関わわる中で、亡き人の声を聞くことはできない、触れることはできない・・・けど、自分の心の中に生き続けている。これからも、心の中で生き続けている、その人と共に生きていこう、といった”再び繋がる”というような思いが湧き起こってくると、全ての遺族に当てはまることではないですが、その人なりの生活ができるようになっていくように感じることも多くありました。

 だから再び繋がることは大切なことだし、その人が自分自身の心に繋がること、亡き人と繋がること。他者と繋がり、地域と繋がるなど、さまざまな繋がりを大事にしていきたいっていうことを団体名に反映しました。

 団体のロゴもRとLが繋がって、見方によってはお母さんと子どもが、関わり合ってるような、優しく包んでいるような、親しい間柄の交わりのような形も見えるかなと思います。

 

福島でのボランティア養成講座

――グリーフという名は入ってないのですね?

 グリーフを名前につけるの嫌だったんですよ。団体の発行物にも、グリーフや、グリーフサポート・ケアという言葉をほとんど使ってないんです。

 グリーフと名の付く団体は全国各地にありますが、私は、団体名にグリーフという言葉を使いたくなかったんです。全国の団体とは繋がりもあるし、大切な仲間で、各団体の皆さんはとても一生懸命活動されていますし、団体名にグリーフという言葉を使うことを批判しているわけではないので、誤解はしないようにしていただきたいのですが、私としては、グリーフと言う言葉だったり、グリーフサポートという言葉に違和感があって、将来的には無くなっちゃえばいい・・・と思っているんです。
生活をしていれば、生きていれば、嬉しいこと、楽しいこともあるし、逆に悲しいこと、辛いこともたくさんありますよね。喪失体験・死別体験をしたときの感情は、人それぞれで様々なものあるのに、なぜグリーフっていう一つの言葉で表現するのか、表現しようとするのかって、いまだに疑問に感じているんです。

 ストレスという言葉が一般的になって、世間の関心が高まったように、グリーフという言葉がもっと広がれば、世間の関心が高まるだろうっていう考えもあって、それも一つだなと思うんです。ですが、様々な反応や感情があるのに、何で一つの言葉で表現する必要があるのだろうか、グリーフとか、グリーフサポート、ケアという言葉を使うことで、特別なものというか、専門性が高いように見えてしまうような気もするんです。喪失体験・死別体験は誰もが体験するものですし、もっともっと身近なことで、本来は地域で支えていくもの、周りで支えていくもの、支えあうもの、寄り添っていくものだと思います。グリーフという言葉でくくらず、喪失体験・死別体験をしたときの様々な反応や感情は、自然で当然の感情ですし、おかしなことでも、病気でもない、正常な反応だということを伝えていきながら、地域で支えあうことを広めていきたいという思いがあります。なのであえて団体名にグリーフという言葉を付けなかったんです。

震災後のプログラムの様子

――団体としてはこれからは、どんなご活動をお考えでしょうか?

 そうですね。いまは、プログラムを普及・啓発していくことですが、先ほどもお話ししたように、私たちの団体の大きな目標は、地域での支援を充実させていくことです。
プログラムは、遺族が生活する中での選択肢の一つでしかないんですよね。だから選択肢を増やすという意味では、プログラムの存在は重要だと思います。ですが、全ての遺族に必要なものではないので、参加をする・しないを選択できることや、参加しようと思ったときに、そういった場所があるということがとても大事なことだと思っています。

 グリーフという言葉が無くなればいいと思うことにも繋がりますが、極端な話をすると、こういったプログラムも将来的には無くなっていいと思ってるんですよ。プログラムが無くても、支えあう地域・社会があればいい・・・そんな風に思っています。
 今はまだ地域での支援は十分ではないですし、実際、子どもたちも含め遺族は、日々の生活の中で、たくさんの傷つき体験をしているので、現状では、このようなプログラムをもっともっと福島で広げていきたいと思ってます。
 喪失体験・死別体験は誰もが経験することなので、これからも、お互いに支え合う環境を、子どもたちや、家族、仲間とともに、地域の皆さんと共につくっていきたいと思っています。

現在のプログラムの様子

――ありがとうございました。8/16(火)のご講演楽しみしております


 佐藤さんのお話を伺い、改めてグリーフやグリーフケアとはなにか考える時間でした。今回ご講演を依頼したのも、私自身が佐藤さんのお話を伺いたいと思ったからです。8/16(火)のご講演では「喪失体験をした子どもたちのサポート」〜揺れ動く子どものこころをどのように支えるか〜として、揺れ動く子どものこころに寄り添い、地域みんなで支え合えることとは何か、何ができるのかについてお話いただきます。みなさんと一緒に考えるきっかけの講演会です。子どもだけでなく、喪失体験は誰にでもあること。子ども支援に関わっているか否かに関わらず、みなさん佐藤さんのお話を聞いていただきたいと思い開催いたします。
 講演後は皆さまからの質疑応答や、感想をシェアする時間をとります。どなたでもご参加いただけますので、お気軽にお申し込みください。ご参加お待ちしております。


【8月16日(日)14:00〜15:30】
福島県立医科大学 看護学部講師・NPO法人ReLink(りんく)理事長
佐藤 利憲 氏 講演(要申込/定員:30名)

◯演題
「喪失体験をした子どもたちのサポート」
〜揺れ動く子どものこころをどのように支えるか〜

〇内容
子どもや保護者のメンタルヘルスに関する支援、子どものグリーフサポートを広めるための普及・啓発活動されている、佐藤利憲氏をお招きしお話いただきます。現在の子どもを取り巻く問題(不登校やいじめ、貧困、両親や親族との離別・死別など)の中で、子どもたちはさまざまな喪失体験を経験しています。揺れ動くこころに寄り添い、地域みんなで支え合えることとは何か、何ができるのか。みなさんと一緒に考えるきっかけをつくる講演会です。
講演後は皆さまからの質疑応答や、感想をシェアする時間をとります。どなたでもご参加いただけますので、お気軽にお申し込みください。

▼お申し込みはこちら
https://forms.gle/CQm9hhRf6J2GotNG8


*インタビュー・文 松村妙仁
*2022年7月6日 オンラインにてインタビュー


佐藤 利憲 (さとう よしのり)さん プロフィール

福島県立医科大学看護学部 小児・精神看護学部門
1975年福島県本宮市出身。順天堂越谷病院で看護師として勤務した後、2010年より大学教員。2015年から現職。 2008年から、子どもや保護者のメンタルヘルスに関する支援、子育て支援及び小中学校教師との医教連携を実践する。2010年から仙台で東北発の死別体験をした子どもへの支援を始め、支援プログラムの初代ディレクターを務める。 2017年に福島で遺児・遺族団体ReLinkを設立する。
現在、死別体験をした子どもと家族のサポート、自殺予防教育(SOSの出し方に関する教育)などのほか、発達障害のある子どもとその家族、教員のサポート(ペアレントトレーニング、ティーチャーズトレーニング)、子ども・子育て支援など、子どものメンタルヘルスに関する支援活動を全国で開催している。

NPO法人ReLink(りんく)理事長
NPO法人仙台グリーフケア研究会 副理事長
公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン アドバイザー
みやぎこころのデザイン教育実行委員会(SCOPE)メンバー
福島県自殺対策推進協議会委員

NPO法人 ReLink ホームページ
https://relinkf.com/