ごえんびと 第16回 鴫原 さとこさん

ごえんびと

第16
NPO法人 虹色たんぽぽ 代表
鴫原 さとこ さん

鴫原 さとこさん

活動中の様子

連載コーナー「ごえんびと」
壽徳寺にご縁のあるひと(ごえんびと)にインタビューし、想いを伺いながらご縁を深めます。

第16回は、鴫原さとこ(しぎはら さとこ)さんです。
 鴫原さんと住職は、仙台グリーフケア研究会の連続講座でご一緒したのがご縁です。コロナ以降、オンラインでの開講に切り替わり、実際に会って学ぶ時間も少なかったのですが、講義以外の時間でも情報交換などしながらご縁を深めてまいりました。

 鴫原さんは、地元宮城県亘理町でNPOの代表を務めていらっしゃいます。こちらでは「暮らしの保健室」や「聞き書き」の活動されており、今住職が一番興味のある活動でもあります。地域に根ざした活動をされている鴫原さん。ご活動の内容、想いを伺いました。どうぞご覧ください。

 

*暮らしの保健室とは…

 誰でも無料で医療や介護などの心配ごとを相談でき、そこにいるだけでホッと安心できる場所として、訪問看護師の秋山正子さんが開設した「暮らしの保健室」。その活動は全国に広がり、各地に「暮らしの保健室」ができています。(暮らしの保健室ホームページより抜粋)

鴫原さんのNPOでは、みんなの保健室、おらほの保健室という名称で活動されています。

*聞き書きとは…

 語り手の話した言葉をそのまま書き起こし、まるで目の前で話しているかのような文章としてまとめていく手法。全国の医療・介護・地域などで広がっている活動です。


助産師としてNPOの代表として

ーーー助産師であり、NPOの代表としても活動されているのですよね?

 はい、そうですね。助産師として病院に勤務し、ライフワークではNPOの活動しています。365日お休みがないような感じですね。NPOを支えて頂いているお仲間や、会員様がいて活動出来ています。幸せです。

ーーーNPOではどんな活動をされているのでしょうか?

 東日本大震災で被災した亘理町を中心に、お節介をやく活動です。”みんなの保健室”として、健康相談や、子育てで悩み事を抱えたお母さん達に居場所を提供しています。被災した亘理のおじいちゃん・おばあちゃんが先生になって畑仕事、梅仕事や味噌づくりなど手仕事を習う講座を開催しています。
 また、「聞き書き人のいる町プロジェクトin亘理」として、地域のお年寄りや震災を経験した人の話を傾聴し、その人の訛りや話し言葉で一冊の本にしてお渡しする(残す)、聞き書きの活動もしています。

梅仕事の様子

活動中の様子

ーーーNPOを立ち上げようと思ったきっかけをお聞かせください

  NPOの立ち上げは2019年。震災が忘れ去られてる、風化してるって思ったことがきっかけです。私自身、被災して仮設に暮らした経験がありました。いいことも問題点も、そこには社会の縮図がありました。

 東北には、まだまだ苦しんでる人がいるのに、3月11日の前後だけ盛り上がって、当時の映像を見たくもないものまで沢山見せられて、周りにはずっと戦ってる人はいるのに・・・。何か理不尽だなっていう思いはありました。ここ亘理も多くの方が被災して、私達にとって3月11日は、「あぁ今年も生きられた」ってこの日を基準に一年が巡ってると感じる方は多いです。でも同じ宮城県に住んでいても震災への思いにはギャップがあるのは否めないですね。それでも、まだまだ助けが欲しい、側で見守りや心に寄り添う必要性があるもの。

 震災を経験した人のグリーフ哀しみは小さくなることはないが忘れ去られることはもっと辛い。また、2018年にコミュニティナース*になり、地域を健康で元気に楽しく豊かにするお節介活動が出きる居場所を提供して形にして残していくことも大事だなぁと思って。親や家を失くした人達が実家に帰って来たような温かい居場所があったら、いいなぁと思いNPOを立ち上げました。

*コミュニティナースとは

看護師資格の有無に関わらず、暮らしの中で地域の人たちとのつながりを育み、健康で楽しい毎日になるような活動をする、地域のつなぎ手。
(コミュニティーナース ホームページより抜粋)

 

ーーーNPOにはどんな方が関わっているのですか?

  お節介メンバーには助産師、保健師、看護師、薬剤師、医師、介護士、カウンセラー、会社員、地元ママさんお年寄りの皆さんがいます。みんなの保健室でいつもお手伝いしてくれているのは、お節介メンバーさんか3、4人くらいですね。あと地元のおじいちゃんおばあちゃん達が農家講座や手仕事講座の先生として加わってくださってますね。若いお母さんから年配の方まで幅広く参加されてます。助産師が目指す「ゆりかごから墓場まで」と言えます。

ーーーNPO立ち上げる前からみんな保健室のような活動もされていたのでしょうか?

 そうですね。みんなの保健室って名乗ってるのは、5年ぐらい前ですけど、その前からやってます。
 
震災当時、家をなくした人とか仮設にも住んでた方の為に、神奈川県内のマッサージの先生たちがボランティア来て、夫がコーディネーター的な役割をしていました。その先生方が来た際には健康の相談にのったり、お話聞いたりしていたので、11年ぐらい前からみんなの保健室みたいな活動はしてましたね。

 その前にも、長男が小学4年生の時に学校で命の授業をやった経験は大きかったです。若年の自死や、いじめが増えてくる中で、また望まぬ妊娠で中絶が後をたたないことを目の当たりにしていて、助産師である私から命の話をしたいという思いが強くなって、小学校で命の授業を開きました。「あなたはこんなに愛されて生まれてきたんだよ。皆も大事。自分も大事にね。」と伝えて、命の尊さを考えるきっかけにならないかと。
 当時は性教育なんて・・・ってすごく嫌がられたりもしました。でも、同級生のお母さんで養護教諭をされている方もいらしたり、PTAの方々の後押しがあって実現したかんじですね。皆で作り上げた命の授業でした。

命の授業の様子

 命の授業の最後には、紙芝居をします。これは私の次男の話が元になっていて、次男は前世の記憶があるというか、生まれる前の記憶を私に話をしてくれた時があって。
 「自分はお空の上に居て、兄弟でさくらんぼみたいにくっついていたんだよ。そこには、たくさん子供たちが空の上からお母さんを探してる。あのお母さんのところに行きたいなと思って、神様、あの人のところに行っていいですか?って聞く。いいけど、順番があるから、上の子が先に行って、その後呼ばれたら行くんだよ」みたいに言われる。「だから僕もお兄ちゃんもお母さんを選んで生まれて来たんだよ」って。その話を聞いて、感動しちゃって、こんな話を聞いた親子が優しい気持ちになり、改めて「生まれてきてくれてありがとう」と思う。命の授業の時に紙芝居としてお話しています。

紙芝居

 やっぱり命の始まりって偶然じゃない、必然なんだろうなと。繋がってるんだなって思っています。私が助産師になったのもきっと理由があるんだろうな。そしたらそれを活用した方がいい。病院だけでなく、地域に出て、助産師の資格を持ったお母さんのひとりとしてっていうのかな、もっとみんなに有効活用してもらえたらと思ってます。私の命の授業を聞いて助産師になった子がいて今、一緒に働いているんです。種まきしてきて良かったと思います。 

 命の授業をして、みんなの保健室もその延長なのかも知れないですね。地域にいてたまたま隣にいたお母さんが助産師で、気軽に相談できる。みんなが幸せに、少しでも安心して暮らせるお手伝いができたらいいなぁと思います。

 

紙芝居

ーーー昔から助産師になりたかったのでしょうか?

 そうではないです。看護師資格とって、県職員になろうと思ってました。県職員としては採用にはならなかったのですが、私には別な道があるかもしれないって思って助産師の道に進んだんです。就職先で看護師で働くようになるのですが、その病院の今は亡き鈴木雅洲(すずき まさくに)理事長先生、不妊治療の体外受精の第一人者で、体外受精による妊娠出生に日本で初めて成功させた先生だったことも大きな影響がありますね。
 
助産学校では、寝ないでお産に入らなくちゃいけないし、毎日勉強実習で2時間ぐらいしか寝られない。あの頃には二度と戻りたくないですが夢があるからなんとも思わなかったし、全国から集まった仲間もいたのは大きかったです。

 助産師になってからは、母子二人の命を扱う重圧もありましたが、お母さん、赤ちゃんや、子育て中の女性の側にいて、助けになりたい。一人じゃないんだよ。頼りにしていいんだよ。力になりたいというか、困ってる人が、少しでも肩の力を抜いて子育てして欲しいなぁと思ってました。助産師は開業も出来ますし、いざとなれば自立して働けますから、当時の私には、新たな道が開けた感覚もありました。

聞き書きとの出会い

ーーーNPOの活動のもうひとつの柱は「聞き書き」ですよね?

 亘理町のおばあちゃんたちって、すごい喋るのよね、昔のこと(笑)
 
私が助産師だから余計そうなんだと思うんだけど、昔のお産のこととかね。取り上げてもらったお産婆の”水戸部(みとべ)さん”の話を私にコンコンとする。鮮明にリアルに。おばあちゃん達にとっては、水戸部さんと私が重なるみたいで…。
 
みんなお話したいんだな、自分が一番輝いていた時の話しを聞かせてくれるんだなって。そういう話をただ聞くだけだともったいないな、何か残せないかなて思った時に「聞き書き」に出会いました。仙台聞き書き隊 隊長で、暮らしの保健室アンダンチ*の玉井 照枝さんと知り合い、3、4年ぐらい前かな、聞いたことを書いて残すことがあるから今度やってみない?って誘われたのがはじまりですね。

 最初は、ただ聞いて書くってことができなくて、なんと難解なっ!て思ったのですが、だんだん慣れてくるとできるようになって。何もジャッジしない、そのまま書いていくのですが、書いて本にまとめてお渡しするとすごい喜んでくれて。これはいいなあ。これで震災の話も残していけたら、風化しないんじゃないかな。他の人が忘れること、忘れ去られることを今覚えてる範囲で話して残す。お年寄りや、震災を経験さした人の話を聞いて残してたら、風化が防げるんじゃないだろうかと思って。

*暮らしの保健室 アンダンチ

宮城県仙台市若林区にある、医、食、住と学びの多世代複合施設。この中のコミュニティースペース内で、暮らしの保健室も開いている

 

ーーー聞き書きをしてどうですか?

 おばあちゃん達の話しを聞き書きすると、震災のお話はほんの少し、1ページ2ページぐらいしかないんだよねぇ。あとは昔のことだったり、楽しかったことだったり、子供のときの遊びや、戦争の話だったり。80年、90年生きてきて、震災というのは多分一瞬に過ぎないのかなぁ…。私たちにとっては重いものであっても、おばあちゃんたちの長い人生の中では一瞬であるのかなと。それもすごいアッパレっていうか、すごいなって思います。
 
そして、みんな必ず言うのは「幸せだ」って。私達から見たらずいぶん苦労した人生だなと思う方も、今が一番幸せですって。それを言わせてるわけではないけど、必ず言う。今が一番いいなって。それもすごく勉強になります。人の人生、色鮮やかな人生を少しでも聞けて、聞き手の私の心も豊かにさせてもらっています。

ーーー被災地の聞き書き、という特徴もありますか?

 そうですね、東日本大震災とは切り離せないですね。日常だった出来事が、3.11以降非日常に変わってしまった瞬間でもあって、11年経っても、きっとこれからも、何年経ってもあの日を境に自分の考え方とか、生き方とか、生活ももちろん一変してしまった経験です。聞き書き養成講座の先生である、金沢大学の名誉教授天野良平先生も、亘理の聞き書きは、震災から切り離せないね。ってお話されています。
 
でもそこには楽しいこととか、家族と暮らした出来事、大事にしていたものがあって、この場所ではこんなこともあった、こんな暮らしがあったんだよ、っていうことも書けるっていうのが大事ですね。その人の人生って震災だけじゃないですから。
 
みんな頑張って今を生きています。劇的に変わるとかそうじゃなくて受け入れるっていうのかな、だんだん折り合いをつけて今があるんだな。ってのがすごくわかるので、可哀想とかそういうのはないし、そうやって生きていくんだねっていう、お話聞いてるとすごくよくわかります。

 聞き書きすることは、亡くなった人の話だったり行方不明の方の話もあります。その人の人生をじっくり聞いて、レコーディングしたものを再生して、書いて、何回も何回もその人の言葉を聞いて、本にしていくので、やっぱり聞く側も辛かったり、グリーフは伴います。
 
聞き書きの活動を一生懸命やってくれてる人が辛いからできませんではなく、今年からは聞き書きをする人のグリーフケアについても大事にしたいなと。自分を保つ、整えるみたいなグリーフもやっていこうかなと思っています。せっかくいい話を話て頂いてまた聞いてくれているのに辛かっただけで終わってしまっては…。

 お話を聞くことは一緒に泣いたり笑ったり、「こんなに頑張ってる人もいるんだ」とか、「こんなに今まで一生懸命生きて来られたんだ」というお話を聞いてこちらが勇気が湧いてきたり、私も頑張らなきゃいけないと思う方もいるし、聞いてもらった人は自分の話をじっくり話すので自分自身のグリーフケアにも繋がったりします。
 聞き書きをまとめた本を読んだ家族は、そういうふうに思ってたんだ、そんな思いをしてたんだとか、そのときのことを改めて知る、震災の時のことを知って、より家族の想いが深まるということもある。聞き書きならではの良さだなと思います。

ーーー辛い話も喜びも、聞いてくれる相手がいるからお話してくださるのですよね?

 そうですね。天野先生は三角関係が大事だとおっしゃっています。
 
聞く人。語る人。読む人。

 あなたの話を聞かせてください、物語を聞かせてください。そして興味を持って聞く。そうすると語り手は一生懸命教えてくれる、一生懸命話してくれる感謝しかありません。それを聞いた人がまた、こういう人生があるんだなって感じて尊敬し文章にする、聞き書き本を手に取り読んだ人の中でも、何かを感じることができる。科学反応みたいな。

 本当は亘理の聞き書き隊が増えればいいなって思って始めたことですが、でもそれだけじゃない。その地域の人が、聞き書きを通して優しい時間になれて、あなたの話を聞かせてくださいって、そこで豊かな時間がそれぞれの町の中でできていくんだったら、亘理に限らず、他の全国に広がっていくのであればそれはそれでいいなと思います。実際、聞き書きは全国で行われていますから。

 相手に喜んでもらえるためにやってるわけでもない。聞き書きしてる時間だけでも話す側も聞く側も幸せな時間であり、本となって読む側も幸せな時間となる。形になってそれが一つの財産とか歴史が残るんだなって。その歴史を作るお手伝いが出来て、こんな幸せなお節介は他にはない。意味があるっていうか、そこに関われることはすごいことだなと思います。

これからについて

ーーー大切にしていること、これからについてお聞かせください

 自分の町の人が元気になって、幸せになってくれることかな。子育てや、孤独を感じることのない町になるように 偉大なるお節介を焼いて行きたいなぁ。

 被災地と限らず、いろんな関わり方があって、できることをやっていけばいいし、私なら保健室の活動できる人を増やすとか、聞き書きの仲間を増やすこともひとつです。NPOの名称である「虹色たんぽぽ」は、綿毛が飛んでそこで虹色のような美しい花を咲かせられるように、必要とする人に届きますように。という想いが込められています。周りの友達も、えんがわ保健室を始めたり、産後ケアを始めたり、自分のフィールドから綿毛を届け始めてる人も多いです。それはそれですごくいいなと思います。こうあるべきとかじゃなくて、みんなのそれぞれの場所でそれぞれのケースができるように、お手伝いが必要な時にはいつでも助っ人致す!っていう気持ちです。

 もともと産婆って地域にいた人だからね。その地域にね1人は居たと。尊敬するフローレス ナイチンゲールも「全ての母親が健康を守る看護師となり、地域医療が来るのを待とう」って言っていたし、今の時代だからこそ、各家庭だったり、地域での医療ケア、大切だなって思います。

 まずは身近から。まずは被災地、亘理から。そしてその人自身が幸せになってほしいなって。もう赦していいんじゃないかなって。
 
自分を赦してていない人もいっぱいいるけど、でも赦すにも力が必要ですね、誰かの助けが必要なんだと思うし。十分頑張ってきたよ、ってもうその荷物を一旦降ろして大丈夫だよって、命ある限り幸せでいてほしいなって思います。

 保健室の活動は地味だけど、場を開けていれば誰かが来るから。よく来たねって迎えて。
 
病院に行くほどじゃないけど、ちょっと相談したいとか、こういうときどうしたらいいんだろうとか、子育てのこと。何かヒントがここで得られればいいなと。あとは楽しいこと。ここに来て楽しかったとかあると子育ても楽になるから、お母さんが笑えば子どもさんも笑顔になる。前向きになるし、1人じゃないと思うしね。

 嬉しい楽しいを一緒にというのを大事にして、友達として出会う。上も下もないんだよって。
 
それぞれのフィールドがあって、そこの隣にたまたま看護師がいたという。そういう感じの保健室を開き続けていきたいですね。

――大切なお話をありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 暮らしの保健室や聞き書きは、壽徳寺でもやりたいと思っていることです。壽徳寺も地域の方々に支えられ、代々繋がって、今があります。地域の宝である人生の先輩方の想いを伺い、大切にし、次世代へつなぐ為の”つなぎ手”のひとりとして、地域のコーディネーターとして、私にできることを模索し続けてゆきたいと気持ち改めるインタビューでした。ありがとうございます。

*インタビュー・文 松村妙仁
*2022年5月21日 オンラインにてインタビュー

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鴫原 さとこ(しぎはら さとこ)さん プロフィール

1969年、宮城県柴田郡大河原町に三世代大家族に生まれた。25年前、結婚後に亘理町へ。現在、夫と大学生二人の男子の母。ワンコ一匹。亘理町で東日本大震災で、仮設暮らしを3年間経験する。助産師。コミュニティナース。
「NPO虹色たんぽぽ」を立ち上げ、被災した元の自宅を夫がボランティアさん達と再建し、「虹色たんぽぽみんなのお家」として被災者支援活動、コミュニティナース活動を奮闘中。

NPO法人 虹色たんぽぽ ホームページ
https://watari-tanpopo.org/