ごえんびと 第20回 本間照雄さん

ごえんびと

第20
地域福祉研究所 主宰
本間 照雄 さん

本間照雄さん

復興支援活動時の様子 (被災者支援センター毎朝のミーティング)

連載コーナー「ごえんびと」
壽徳寺にご縁のあるひと(ごえんびと)にインタビューし、想いを伺いながらご縁を深めます。

第20回は、地域福祉研究所 主宰 本間照雄さんです。

住職と本間さんとは、本間さんが顧問として携わっている「市民コミュニティソーシャルワーカー研修会」からのご縁です。昨年度受講した際、新たな視点をいただいた研修会。研修会の中でなかなかお話できず、改めてじっくりお話を伺いたいと思い、今回のインタビューとなりました。
講義の中で本間さんから様々なキーワードもいただき、「学ぶ」ということを改めて考える機会になった研修会。そのエッセンスは、本間さんご自身の経験によるものと実感するインタビューです。ぜひご覧ください。


「市民コミュニティーソーシャルワーカー研修会in福島」とは
 コミュニティソ ーシャルワーカーは、地域の皆さんの様々な生活課題に対し、必要な支援を結び合わせて住民とともに解決に取り組む「地域のつなぎ手」です。本来は専門職の皆さんが担う役割ですが、暮らしの主体である地域の皆さんが「コミュニティソーシャルワ ーカ ー」的視点を養うことで、地域の暮らしやすさや安全・安心などの地域力は大きく向上します。
NPOやボランティア、民生委員・児童委員、町内会・自治会役員、個人の方々など、地域の担い手の皆さんに「市民コミュニティソーシャルワーカー(CCSW)」として活躍していただくための学びと連携の場として、「市民コミュニティソーシャルワーカー研修会in福島」は誕生しました。
*開催チラシより引用

市民コミュニティーソーシャルワーカー研修会in福島(2022年度開講中)
Facebookページ https://www.facebook.com/ccsw.fukushima


仕事と大学での勉強

―――宮城県ご出身で、現在も宮城県にお住いですよね

 そうですね。生まれも育ちも宮城県です。生まれは中新田町(なかにいいだまち)で現在の加美町(かみまち)です。高校卒業後、石巻市の北上町十三浜(きたかみちょう じゅうさんはま)にある小学校の事務職員として公務員生活がスタートしました。元々大学に行きたいという思いがあって、就職後に通信教育を受けたのですが、スクーリングに行けず挫折しました。でも何とか大学に行きたかったので、少々遠いのですが東北学院大学の夜間に通いました。職場の北上町から大学まで2時間30分くらいかかり、火木土の週3日、仕事が終わってから仙台に通い、家に戻ると深夜0時という感じでしたね。遠くて大変でしたが、これ以降大変なことがあっても、この経験に比べたら大したことないなみたいなベースラインにもなってますね。
 幸いにも、その後に仙台に転勤することになり、遠距離通学は1年だけでちょっとハードではありましたが、この期間はとても貴重な時間となりました。

 

―――さらに大学院にも進まれたのですよね

 大学院に進んだのは職場で中堅になった頃です。中堅になると大体の事は経験から判断できるようになるのですが、それが嫌だったんですよね。自分が決裁権を持つようになって、経験だけで物事を判断するのではなく、学問的にちゃんと把握した上で判断できるようになりたいと思い、42、3歳の時、大学院に入りました。大学での勉強と現場で見聞きすることの間を行ったり来たりしながら物事を判断することが出来るようになり、そうした取り組み方が、今日の私の仕事との向き合い方になっています。
 また、この頃は子育ての最中でもありました。子どもを連れて公園を散歩している時など、「なんて幸せなんだろう」と、思ったものです。同時に、この幸せを自分だけで独占してはいけないとも思ったのです。そこで、何らかの形で社会貢献をしなければと考えました。そのような時に大学院の社会人入学の募集を知り、何らかの知識を身に付け、それを持って社会貢献をしようと考え、「大学院への進学」を決めたのです。なので、仕事上のことと子どもから教わった二つが大きな動機になってます。

宮城県庁長寿社会政策課勤務時にNHKのテレビ取材

宮城県庁長寿社会政策課勤務時代

―――大学では何を専攻していらっしゃったんですか

 学部は経済学なんですが特に関心があったのは、社会保障論とか社会政策論です。今の活動に通じることを経済学の視点で勉強してたような気がしますね。大学院からは社会学という視点から地域を見るようになりました。学部でも大学院でも東北学院大学に入り、そして退職後は教員として携わり、人生の節目節目に東北学院大学があります。
 でも一番最初は京都の佛教大学社会学部の通信教育に行ってたんですよ。当時、大学を卒業すると知恩院に行けたんですが、クリアできずにそれができなかったことが今でも悔いが残りますね。

 

―――仕事をしながら、大学、大学院と通うのは大変ですよね。そのエネルギーはどこから湧いてくるのでしょうか

 世の中を見回してみると、表には見えなくても頑張ってる人っていっぱいいるんですよね、本当に。そういう人達を支えたいっていうのはずっとあります。代弁したり、みんなに見えるようにしたり、その人自身の自己実現を支える人が必要ではないのかなって。そうでないと、せっかくのものが埋もれてしまうし、社会にとってもったいないって思うんですね。
 美味しいものを食べて、どこか知らないところに旅行に行くっていう楽しみよりは、誰かが輝けるように、ほんの少しでも手伝って、その人と一緒に喜んで、楽しむことの方が私には価値があるような気がします。少しずつかもしれないんだけども、地域社会の人たちが元気になって、明日に希望持てるようになっていくっていうのは楽しいですよね。「人様の役に立つんだ!」とガーッと突き進む感じでは全くなくて、頼まれれば、その人の想いの倍で応えるみたいな、期待をできるだけ超えられるような返し方をしたいって願っています。なかなかそうはいかないですが・・・。

 

南三陸町での支援活動

―――公務員を退職されてから、南三陸町へ被災地支援に行かれるのですよね

 公務員って、一番最初に服務の宣誓っていうのをやるんですよ。私は宮城県庁職員だったので、地方公務員法に基づいて、県民のために奉職しますってことを誓うですよね。定年で3月31日に公務員としての身分が切れるわけなんだけども、これまで30数年県民のためにって思ってきたのが、明日から公務員でなくなるからと言って、それをしないってのはありえないと思ったんですね。
 退職する年に東日本大震災が起きて、県民が大変な状況の中、南三陸町に行って被災者支援するの気負った気持ち等は全くなく、今までと全く同じような気持ちでした。南三陸町に行ったのは、前からの縁があってピンポイントで行ったわけではなくて、いくつかの被災地宛に自分の経歴とやれることがあれば呼んでくださいって手紙を書いて、返事が来たのが南三陸町だったので行きました。3月31日に退職辞令をもらって、翌日4月1日に車に食料や寝袋を積んで南三陸町に入りました。

南三陸町仮設役場(保健福祉課)で寝袋生活の様子

南三陸町でのテント生活の様子(後方は自衛隊の仮設風呂)

―――どのような支援をされていたのでしょうか

 行政ボランティアです。がれき撤去などボランティアと言っても様々な内容がありますが、公務員だった自分がやれるのは町の行政を支え、その先にいる県民、南三陸町民を支えるのが私のは合っているのではないのかなって思い、行政ボランティアとして行きました。
どうしても地元の職員は目の前のことで追われちゃうので、その次を考える余裕がなかったんですよね。私は「よそ者」なので、ある程度冷静に現場を見ることができました。現場の状況を先読みして、次の一手を課長さんとかに提案しながらやってましたね。
 被災者支援センターの設置もその一つです。当時、被災者支援っていうとすぐ専門職しか頭に浮かばなかったけど、何よりも私がこだわったのは、町民を支援者にするっていうことなんですよね。被災者支援はいつか終わってしまう。外部から人を連れてきたり、外部から来たボランティアさんにやってもらっても、いつかは帰っちゃうんですよね。そうすると、ものすごく大切な経験が地元に残らない。なので、私は地元の人を第一線に立たせたかった。被災者支援センターの制度やシステムがなくなったとしても、その経験が地元に残って、それがこれからの復興の大きな力になる必要があると思ったので、地元の人にこだわったんです。

 

―――携わる中で「聞き書き」もされていたのですよね

 社会学を勉強したからだと思うんですけども、調査を行った時には質的調査と量的調査があって、質的調査はインタビューや面接の記録を集めて事例を深く下げていくもので、聞いたことをありのままに書いて残す「聞き書き」はその一つでもあります。
 その人の言葉の持っている力とか、言葉と言葉の行間にあるその人の歴史や生き方を通して訴えるものは大きいんじゃないかなって感じてるんですよね。特に東日本大震災は、多くの場合はマスコミを通じて知る情報だったと思います。彼ら一人一人の胸の内とか、言葉の端々にある、その人たちの思いみたいなものはなかなか伝わらないんですね。でも聞き書きだと、じっくりと読んで、その人の言葉からその人の人となりが見えてくるっていうところがあるので、聞き書きってのはいいなっていうふうに思ってます。
 よく私が使う言葉ですが、「社会的想像力」*を磨く力をつけるのにもすごく役に立ちますね。

*社会的想像力とは・・・当事者でないことで限界を感じつつも、他人事としてではなく、社会の問題として捉えること。本間さんが大切にしている視点。

生活支援員研修の様子

町外避難者訪問の様子(町長・住民のビデオメール上映)

――南三陸町の支援には何年携わっていらしたのですか?

 丸3年です。当然、3年で復興してるわけではないんですけれども、私はよそ者で、よそ者がいつまでも指導者ぶっているっていうのは地元の自立にとっては決していいことではないと考えています。中心はやっぱり地元だって思っているので、彼らがある程度自分たちでものを考えられる、行動ができる、っていうふうになった段階で引く。その後は1ヶ月に1回ぐらいフォローして、彼自身で歩いていくのを阻害しないようにしたいと思ってたので3年で帰ってきたんですね。
 3年間でやったことってのは3年間の話じゃなくて、それ以降のことを想定していろいろ提案をしたりとか、「結の里(ゆいのさと)」というベース基地、地域の人たち共有の居間になるようなスペースを作ったりをやってきたんですね。10年経ってもそのとき一緒に勉強したことっていうのは脈々と繋がってればいいなって思います

 

学ぶということ

――退職のタイミングで震災が起き、南三陸に行くというのも巡り合わせですね

 退職後の10年って、私が全く想定していなかったような人生です。こんな人生を送るなんていうのは想像もしていません。退職したら母親孝行と四国のお遍路に行くつもりだったので、不思議ですね。
 でも、あのタイミングでないと南三陸町に行ったりもしてなかったと思うんです。早くても遅くとも。公務員最後の最後の時間の時に、あの東日本大震災が起き何を考えたかと言えば、公務員って一体何をする人間なんだっていうのをすっごく思ったんですよね。県民にとってものすごく大変な時こそ公務員だろうと。このような気持ちがとても強かったんですよね。なので、たとえ公務員というのを辞したとしても、私は県民のためにやっぱり身を投じる必要があるのではないのかなと思ったんですね。

 

――その思いは今のご活動にも繋がるのでしょうか

 やはり私のベースには公務員の姿勢があります。人様の役にたつためにやる仕事なんだという気持ちは常にあったと思うんですね。ただその時は漠然と公務員は県民に奉仕する仕事だよなっていうふうに思っていたんですけども、では県民に奉仕するとか、奉仕って何なんだとか、地域って何なんだろうかって良く考えるんです。宮城県の地域福祉計画を見ると、「住み慣れた地域で暮らし続けることを支える」って書いてありますが、住み慣れた地域って何なんだとか。自分なりにしっかりと考えなくちゃいけないよなって。言葉だけが綺麗に飾られているようなのはうまくないよなっていうふうに思って、大学に入ったわけなんですけど、大学院に入って自分たちが使っている言葉をしっかりと学問的に裏づけしていった。そういう一連の流れがあり、学べば学ぶほど地域って大切にしなくちゃないなとか、住民ってものすごいパワーを持ってるよな、とかっていうのに気づいていったところがあるんですよね。
 だから勉強するっていうのはそういう意味ですごく大事だなと思って、そういう自分なりの体験があるもんだから、福島でね、こういう勉強(市民コミュニティーソーシャルワーカー研修会)したいって言われた時にもうオールOKだみたいな感じですね。

市民コミュニティーソーシャルワーカー研修会の様子

――学ぶということはどんな意味がありますか?

 学ぶことによって今まで見えなかった世界が見えてくるじゃないですか。それと同時に「見えなかった」というところも見えてくるんだと思います。「見えない」というところがわかるってことなんですよ。学ぶことで見えるところが増えるんですけども、まだ見えない世界があるんだっていうことも同時にわかると思います。学ぶっていうのはね、そういうところがある。
 大学の教員があんな大変なことをものすごく楽しそうにやってるのは、そこなんだよね。勉強して、ああそうだったのかっていうのがあるんだけども、まだ見えないところがここにもあった、って好奇心がくすぐられるってのはありますね。学問的に整理ができるっていうところがあるんですね。そうすると今までならば問題行動としてしか見えていなかったことが、実は問題行動ではなくて、そのように強いられてるんだっていうのがわかってくる。これがやっぱり学びの効果ですよね。

 

――ご活動の中で大切にしていることをお聞かせください

 これから人口が増えるとかっていうのはほぼほぼない。でも減っても何か活気があるよね、生活してて楽しいよねっていうのは大事だし、長く繋がるんじゃないのかなと思うんですね。経済学の世界ではロングテール理論っていうのがあるんですよ。これはどういうことかっていうと、何かインパクトのある事業でガーンと収入が上がった時より、ロングテール(=長い尻尾)なので、恐竜の尻尾みたいに細く長く続けてゆくことが、結果的に一次的な収入増よりも、細く長くの方が収入が上がるという理論です。
 これは経済学だけでなく、地域作りもありではないかというふうに思ってるんです。必ずしも目立つ、一過性のものではなくて、細々と、でも楽しい生活が長く続くというところにポイントを置いても、地域の活性化はできるんじゃないかって。お寺さんも時間軸っていうのがものすごく大切な空間ではないのかなっていうふうに思ってます。なので、ロングテール理論を実践する場としては最適の場所なのです。
 どんな活動をしても、感情論だけじゃなくて、ちゃんと学問的にも制度的にも知ることも大事だし、全部自分で知らなくてもいいし、やらなくてもいいんですよね。対人援助で相談を受けたならば、状況を理解して、必要だと思うところに適格にチョイスして繋いであげればいい。そういうことができるだけで、全然違う。

集団避難先で住民ニーズの聞き取り

 困りごとを抱えている方って、多くの場合はどこにどう相談に行ったらいいのかわからないことが多いのです。自分がモヤモヤを抱えて、糸が絡まったような状態なので、それを解いてあげるだけでも8割くらい問題が解決するんですよ。その後の1割2割はちゃんと解きほぐしてあげて、持ってらっしゃる優先課題に応じて必要なところに繋いでいくことが大切ですよね。
 その人の課題の2割がちゃんと繋がったり、そういう手段を持てるようになれば、その結果は8割に影響するので、全部解決しようなんていうのはなくていいんですよ。だからとっかかりがあって、先が見えることによって、ご本人の安心感とか自信とか、将来に対する希望とか、ものすごい大きなパワーなってくるのです。それをしてあげる存在が大切。それも松村さんのようにお寺とか、地域にあるっていうのが大切。相談センターとか、役場とかわざわざ行くところじゃなくて、生活に非常に近いところですよね。

 わざわざ相談に行くではなくて、”ついでに”っていうのが大事。ちょっと今日、お墓参りに行ったついでにちょっとお話して、そこからどんどんといろんなことを吐露していくようなね。わざわざ相談ではなくて、ついでの相談。それがいいんですよ。
 わざわざは身構えてしまう。ついでは、まるっきりフラッと行くから本音が出ます。そして自分で問題だと思ってないことも、その言葉の端はしに出てくることもある。それはついでの相談するような場じゃないと出てこないです。お寺さんでも、ぜひ、「ついで相談所」やってほしいな。世の中のいろんな事業にしても「わざわざからついでに」に変えると、ものすごい可能性が増えると思う。肩肘張らないで、それも日常で、特別なことではなくて生活の一環としてみたいな流れが、結果として持続可能性っていう視点では大きいんじゃないかなと思うんだよね。その人が今住んでいるところで、安心して住めるようになったらば、それが一番ですよね。

 私のこれからの望みは二つで、ひとつは四国の歩き遍路をして、いままでお世話になった方々へ仏様を通して感謝を伝えるということ。もう一つは生前葬なんです。自分でしっかりと自分の言葉で感謝したい。それさえできれば、西方浄土にいる母親に会う日をゆっくりと待っているという日々を送りたいなと思っています。どちらも妻には反対されているんですけどね・・・(笑)

 

――ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします

 市民コミュニティーソーシャルワーカー研修会の講義では、多くの学びをいただきました。そして「学ぶ」ということを改めて考え、さらに学びたい。と思うきっかけでもあります。先日壽徳寺にて開催いたしました、「おてらおやつクラブ巡回展」へも本間さんはお越しくださっています。仏様へのお供え、という昔からあるお寺の”ある”と、生活困窮など社会の”ない”に繋げて、無理なく循環させるこの活動に関心を寄せていただきました。このインタビューをさせていただき、お寺という地域に長年根差した場所だからこそ、できることがたくさんあると改めて思いました。学ぶとこを重ねながら、お寺でできることを考え続けてゆきたいと思います。大切なお話を聞かせていただきありがとうございました。

*インタビュー・文 松村妙仁
*2022年10月2日 オンラインにてインタビュー


本間 照雄 (ほんま てるお)さん プロフィール

地域福祉研究所主宰
宮城県中新田町(現加美町)生まれ

座右の銘は『刻苦勉励』(こっくべんれい)
地域福祉の推進には、啐啄同時(そったくどうじ)が大切と考え、地域住民と歩みを合わせながら身の丈にあった持続可能性のある支援に心掛けたい。
趣味はアマチュア無線(2級アマチュア無線技士JH7VCH)

詳しいプロフィールは地域福祉研究所 ホームページにて

地域福祉研究所 ホームページ https://welfare0622.org/