ごえんびと 第7回

ごえんびと

第7回
Roots猪苗代 大室 由佳 さん

大室由佳さん

Roots猪苗代内 プレーパーク

連載コーナー「ごえんびと」
壽徳寺にご縁のあるひと(ごえんびと)にインタビューし、想いを伺いながらご縁を深めます。


第7回目は、Roots猪苗代の大室由佳さんです。

2020年11月、旧山潟小学校に移転グランドオープンした、Roots猪苗代さん。
工務店、インテリア、アウトドア、カフエ、プレーパークと多角的に豊かな暮らしを提案する複合施設であり、
人の駅としての交流の場、活動も広げていらっしゃいます。

アウトドアショップのマネージャー、プレーパークのリーダー、
またRootsさんの広報でも活躍される大室さん。
イベント開催時には、周辺の全地域にチラシを一軒一軒配布にまわり、お顔なじみの方も多いのではないでしょうか?
大室さんと猪苗代の出会い、Rootsさんとのご縁などお話を伺いました。
どうぞご覧ください。


猪苗代とのつながり

―――Rootsさんで働いて何年になられますか?

 2018年くらいから、Rootsの敷地内でプレーパークをやらせていただいていました。
 はじめの1年は日曜日のプレーパークのみ担当する形で、その後営業サポートもするようになりました。当時は、新潟での仕事を持っており、ダブルワークという形で新潟と福島を行き来しながらでした。2019年にアウトドアブランドのスノーピークとRootsが業務提携し、お店をスタートするということで、担当として2019年1月から社員として入りました。

 

―――新潟ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

 新潟には10年以上住んでいまして、はじめは結婚式場で働いていました。結婚式場で働きながら保育士の資格は取りましたが、日々の生活に追われる毎日で、保育士につながることはなにもしてなかったんです。ですが、自分の人生の転機と東日本大震災のタイミングが重なり、以前講演会を聞いて感銘を受けた”森のようちえん”をやりたかったことを思い出したんです。新潟でも森のようちえんをやっているNPO法人があることを知り、ボランティアでいいので関わりたい、というところからはじまりました。

 この時もダブルワークで、はじめは平日は森のようちえん、土日は結婚式場で働いてました。森のようちえんとの関わりが深くなると共に、運営するNPOでも子育て支援など事業を広げることになり、結婚式場の仕事を退職し、NPOの仕事一本に移っていきました。このNPOでプレーパークの立上げに関わることができたのは大きかったですね。

プレーパークでの様子

プレーパークでの様子

―――猪苗代とのご縁をお聞かせください

 私は福島市出身で、今でも休みの日は福島の実家におります。新潟に住んでいる時に、父が病気になり、新潟と福島を車で往復する生活をしていました。その時、新潟で交流のある方々が、Rootsのインテリアショップの運営やブランディングに携わっていたんですね。そのタイミングで、私も新潟と福島を行き来していましたので、中間地点でもある猪苗代に立ち寄ることが増えてゆくようになります。Rootsに立ち寄ると顔なじみの先輩方や手仕事作家さんなどにも会えることが嬉しかったですし、父が闘病中でしたので、自分の息抜きや癒しの時間にもなっていました。
 通っているうちにRootsのみなさんと親しくなり、食事したり、泊まったりすることも増えてきます。当時のRootsの敷地にも森があり、そこを活用するひとつとして、プレーパークをすることにも繋がっていきました。

 

―――猪苗代のプレーパークはどのような形でスタートされたのでしょうか? 

 2017年11月の3連休、マルシェ開催時におためしでプレーパークを開かせていただきました。当時、新潟の仕事も抱えていましたし、父の病気のこともあり個人的に大変な時期で、猪苗代でプレーパークができることが自分の励みになっていました。
 11/3~5開催で、新潟の仕事も休めず1日しか参加できない予定だったのですが、10月末に父が他界。そのことでお休みを2週間いただくことになり、全日程参加できるようになったんです。父が結んでくれたご縁だなと思いました。
 感謝の気持ちで第一回のプレーパークが終了し、年が明けて1~3月にもプレーパークを2週間に一度開催。春から毎週開催とつながってゆきました。父の死もありながら、プレーパークをやれることに救われた気がします。

―――新潟、福島、猪苗代と移動は大変だったのではないでしょうか?

 私にとってはドライブは思考の整理、父を思い出す時間でもあります。紅葉が綺麗な時期に土湯峠を越えて福島を往復していると、この時間も父が作ってくれたのかなと、かみしめる時間でした。向かった先の猪苗代では、みんながあたたかく迎えてくれて、ご縁だなとしみじみ感じていました。
 闘病中の父がずっと心配していたのは冬の運転で、最後のプレゼントは冬タイヤでした。冬の心配をさせないためにも秋に旅立ったのかとも思っています。今でも父の車に乗りながら、父に買ってもらった冬タイヤで守ってもらっています。

 

プレーパークとの出会い

―――いつもパワフルに活動されているイメージがあります。幼い頃から活発だったのでしょうか?

 全然です。先生の言う事を聞く。やんちゃなことはしない子でした。
 根が真面目で、大学生の時も単位はしっかり取っていましたが、将来のビジョンが描けないまま卒業まで来てしまったんです。その時に母から新聞の切り抜きを貼ったハガキをもらったことが転機になりました。当時、日本青年奉仕協会という財団でやっていた「一年間ボランティア」という活動の募集記事でした。

 

―――具体的にはどんな活動をされていたのでしょうか?

 東京都世田谷区にある、羽根木プレーパークでのボランティア活動です。
 そこで1年間、慣れない環境の中で毎日泥だらけになりながら、ただ必死に無我夢中で過ごすという場に身を投じてきました。そこでの活動をきっかけに、子どもたちをコンロトールするのではなく、ひとりの人間として尊重し、大人が子どもと対等に接する世界があるんだという大きな気づきがありました。今までとは全然違う世界に放り出され、衝撃を受け、自分と違う価値観と出会うことで、自分を覆っていた固い殻ににヒビを入れることができたように思います。

―――もともと保育や教育の世界に興味あったのでしょうか?

 いえいえ。応募理由は世田谷に憧れていたからです(笑)私自身、末っ子で小さい子の面倒も見たこともない。子どもや遊びにも興味なければ縁もありませんでした。なんにも事前情報を知らずに、世田谷に住みたいというモチベーションだけで応募しましたし、面接でもそこを強調したことを覚えています。
 後から調べると、羽根木プレーパークは日本初のプレーパークで、全国から取材も来るプレーパークのメッカのような場所でした。子どものことを勉強している学生などが応募することが多かったようですが、そのバックグラウンドがない私のような学生の方が、逆に場に変化が生まれておもしろいと思って選んでくださったようです。
 ここでの一年の任期終了後は、違う環境を知りたいという想いから、野外教育を行う東京の民間会社に就職し、子ども対象のキャンプや自然体験事業の職に就きました。

 

今につながる縁と経験

――東京での活動やその後の仕事でのご経験は今に活かされてますか?

 そうですね。時を経てすべて今に活きていると感じています。どのタイミングでも全力でやることが大事で、どこでも学ぶことが多いです。
 弊社は2015年からRootsというブランドをたてて、工務店として家を建てるだけでなく「家と暮らし」を提案しています。このタイミングでRootsに出会えた、ご縁をいただけたことにも感謝しています。プレーパークをやりたいと言った時に、通常の企業ではやろうと思わないですよね。ケガなど、なにかあったら会社の問題、責任にもなりかねません。普通だったらノーであるところを、社長が了承してくれたのは、ログハウス作りからはじまり、自然や本物の木を長年扱ってきた工務店ならではだと思いますです。そのご縁に出会えたことがとてもありがたいなと思います。
 工務店として大切にしてきた、自然に対する尊敬、愛着というのも、森のようちえんやプレーパーク、自然体験などで感じていたことに繋がります。全然違うジャンルで生きてきましたが、すべて今に繋がっています。タイミングと人のご縁に感謝ですね。

――コロナ状況下の今、心境の変化などいかがでしょうか?

 コロナがなければと思う事、大変なことも多いですね。想像つかなった未来です。
ですが、本当にやりたいことだけ集中してやればいいと言われている気がしています。晴耕雨読のように、雨が降ったり吹雪になったら外でのプレーパークは休めばいいし、必要以上に予定を入れたり、人との交流をしない。コロナの状況の中でできることを考えてやってゆく。今の状況の中で、柔軟に生きて行くことを教えられている気がしています。
 自然の脅威と共に生きる実感をしながら、自然のリズムに合わせて無理せず生きてゆきたいですね。その時その時楽しめることを心から楽しみたいです。

 

――これから考えていることなどをお聞かせください

 地域のみなさんとつながりながら、猪苗代にとって、Rootsがここに来てよかったと思えるようにしたいですね。期待される部分もあり、やらなければならない立場でもありますが、みんなでアイデアを出し合い、様々な方からもアイデアをいただきながら進めています。
 生きにくい時代かもしれませんが、身近な世界が平和であると幸せに感じます。おいしい食事だったり、近しい人との関係性であったり、今この瞬間が幸せであれば、これまでの苦労も悪くなかったかなと実感する毎日です。大変なこともありますが、Rootsとしての新しいチャレンジもすぐそこで待っていますし、新しい展開に私自身とってもワクワクしています。
 私の肌感覚では、いい風がきているような気がしています。Rootsがここに移転して新たなご縁も生まれ、いろんなタイミングが整ってきています。こんな状況下でも必要な縁は繋がれると思います。今までもご縁に支えられてきましたが、これからもご縁を大切にしてゆきたいですね。

――ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

 

 大室さんのお話を伺い、さまざまな経験とご縁が今に繋がっていることを感じました。お父様との別れというご経験も抱えながら、共に生きていらっしゃる。生きてゆく中で悲しい経験、寂しい経験も、なんらかの次に繋がっていることを改めて考えるインタビューでした。深まる時間をありがとうございました。
 山潟小学校は壽徳寺の寺小屋からはじまり、山潟小学校は住職の母校でもあります。
廃校になった母校に再度あかりが灯り、これからも人が集う場所として賑わうことをここより楽しみにしておりますし、一緒に盛上げてゆければと思っております。

 

*インタビュー・文 松村妙仁
*2021年8月27日 Roots猪苗代 にてインタビュー

インタビュー記事 PDF版のダウンロードはこちらから


【プレーパーク とは】

 子どもたち自身で遊びを作り出す遊び場。「冒険遊び場」とも言われる。
1940年以降ヨーロッパを中心に広がった活動で、子どもたちの想像力で工夫し「自分の責任で自由に遊ぶ」ことを重視した遊び場。遊び場にある道具や廃材、自然素材を使って、自分がやりたいことに挑戦し、実現していくことで、遊びを通して豊かに育つことを支える。プレーリーダーと呼ばれる大人も見守るが、口だしや手助けなどは極力しない。あくまでも子どもたちの自主性、主体性、社会性を育む遊び場として、日本でも広まっている。


大室 由佳さん プロフィール

1979年 福島市生まれ。保育士。
Roots猪苗代 アウトドアショップ「FLAME」マネージャー。
Rootsプレーパーク「グロンボロンの森」プレーリーダー。
大学卒業後、羽根木プレーパークに「一年間ボランティア」として関わる。
その後、東京の民間会社で野外教育活動に携わる。
2012年、「森のようちえん」を運営するNPO法人で働く。
2015年、新潟市委託事業「Akihaマウンテンプレーパーク」の立ち上げに関わる。
2018年、Roots猪苗代にて「Rootsの森プレーパーク」の活動を始める。

 

◆Roots猪苗代 ホームページ
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