「民報サロン」2022年1月8日掲載

偶然か必然か

 

 本日1月8日は、一年の中でお寺が最も賑わう日です。初薬師といって本尊薬師如来の年明け初縁日で、多くの方が参拝されます。一年の無病息災や安寧を祈願する護摩法要と、檀信徒新年会、総会を開催しています。今年も法要のみですが、一年のスタートとなる大きな行事であり、私にとっても大切な一日です。この日に執筆担当するということ、この民報サロンが146期であることも運命のように感じます。というのも4月6日が誕生日の私にとって4と6は身近な数字。今期に導かれるべくして引き寄せられたのか?必然だったのか?と勝手に思ってしまいます。

 「導かれた」という感覚は地元猪苗代に戻ってきたことも同じです。都会に憧れ、神奈川の大学に進学しそのまま就職。地元に戻ることなど一切考えていませんでした。さまざまなタイミングが重なり、地元に戻り家を継ぐ大きな決断をしたのですが、なにか導かれた気がしています。導かれるにも、直接的なきっかけもあります。それは、13年前の父の死であり、その後の東日本大震災です。当時私は、都内にあるコンサートの企画運営をする会社に勤めておりました。念願だった会社に就職し、充実した毎日。田舎に戻ることなど考えることなく過ごす中、父の死と東日本大震災を迎えます。亡くなって初めて気づく父やお寺の大きな存在、変わりゆく故郷福島の姿。大きな衝撃でした。

 あの時闘病中の父の側にいればよかった、あの時福島にいなかった、あの時なにもできなかった、という想いは今でも強くあります。ですが、あの時福島にいなかったことが私の原動力となり、今だからできること、自分にできることを日々模索しています。あの時を悔やむだけではなく、その想いは私に太い根を下ろし、福島から離れたことによって見えた景色や経験が大きな力、活力となっています。 生きてゆく中では理屈で解決できないこと、選択や結果が必然だと思えない、わりきれないこともたくさんありますよね。父の死、東日本大震災も偶然や必然だったとは決して言えないですし、折り合いがつかないことばかりです。そんな中でも、よりよく生きるための希望の光、きっかけを見つけ日々自分らしく生きてゆきたいと思っています。

 希望の光やきっかけは人それぞれ。いろんな経験を重ねてゆくこと、さまざまな人との出会い、多角的なものの考え方、導かれるご縁に身を委ねてみることも大切ではないかと思います。父の死、東日本大震災が私の大きなきっかけです。辛く悲しい出来事ですが、そこから生まれたご縁に身を委ねたことで今の私があります。なにかに導かれるように、流れに身をまかせるのも大切なのかもしれません。本当に大変な時はそんな考える余裕すらないですが、そうありたいと思っています。

 今回の機会も、単なる偶然の重なりなのかもしれません。ですが、このご縁が必然であると思う事で想いも深まります。導かれたご縁に身を委ね、今の私の想いを綴ってみたいと思います。

福島民報「民報サロン」2022年1月8日寄稿

 

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